シルクスクリーン印刷、アパレル企画製造、OEMグッズ製造の松栄シルク

代表挨拶

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25周年を迎えて

1987年(昭和62年)8月、それまで11年半勤めていたスクリーン印刷の会社を退社し、近隣にある小さな工場を間借りしてスタートしたのが同年の9月のことでした。

Tシャツのプリントがたくさんやりたくて独立開業したのですが、開業当時はビニール玩具や、文具、鞄といったものが印刷の主流で、Tシャツ等の衣類関係のプリントはほとんど受けていませんでした。
なけなしの資金で始めたため、Tシャツプリントの機械設備にお金をかけることができなかったのです。開業して約10年間は、ベニヤ板にTシャツを着せ、平台の上に固定させながらプリントをしていました。

一方で会社自体はバブル景気真只中に開業したため、プリントに関するいろんな依頼が舞い込んで来ました。中には納期を間に合わせてくれるのなら金に糸目を付けないからやってくれと言うような依頼もあったのです。このように仕事はたくさんあったのですが、それをこなすだけの人手を確保することができませんでした。開業と同時に繰り返し求人広告を出しましたが、3K(危険・汚い・きつい)と呼ばれる仕事柄、いくら募集広告を出してもまともな応募者はほとんどいませんでした。
3Kは日本人のする仕事では無いと言うような風潮があったのもこの時代です。ホワイトカラーが当たり前で、社用族は連日のように夜の街へ繰り出していました。
土地は区画整理され、大きな商業ビルが次々に建てられました。高級マンションや別荘が飛ぶように売れる一方で、急激な地価の上昇から一戸建てのマイホームは庶民の手の届かない価格にまで達してしまいました。株価は連日のように高値を更新し高級外車が溢れんばかりに走っていました。
日本中の多くの人達が好景気に浮かれ、いつのまにかそれが当たり前になり、なにか偉い者にでもなったような錯覚を起こしている人達が随分と多くいたように思います。

そんな時代に、有機溶剤の匂いがするような汚い工場で働こうなどと思う日本人は、ほとんどいなかったのかも知れません。工場の前で鼻をつまみながら歩いて行く人の姿を見た時は、なんともやるせない思いで一杯でした。私達は鼻をつまむほどの臭気の中で働いていたのです。

この頃の私は爪の間にインクを溜め、朝早くから夜遅くまで作業をしていました。当時働いていてくれた3名の社員と共に連日連夜インク塗れになって働いていたのです。

塩化ビニールのプリント代が1色5円から8円の工賃で、1万枚プリントしても5万から8万円の売り上げにしかならない苦しい思いをしているそんな或る日、取引をしている銀行の営業マンがリゾートマンションやゴルフ会員権を買わないかと持ち掛けてきました。
立派なパンフレットを広げ、この分の購入代金は別枠で融資するから買ったらどうかと言うのです。それを聞いた私はこう言い返しました。リゾートマンションを買っても行く時間が無いし、ゴルフのできない私がゴルフ会員権を買っても仕方ないでしょうと言いました。
つまり必要の無いものを買う余裕は無いと答えたのです。その後も何度かセールスに来ましたが、どんな美味しい事を言われても一切相手にしませんでした。しかしこのバブル景気の頃は、こういった商品を必要も無いのに買う人が多くいて、その結果いろいろな物の価格が上昇していったのです。私のような無駄な物を買わない人間は堅物と見られていたのかも知れません。

今日食べる米も無いような貧しい家に育った私にとって、このバブル景気の頃の人々の行動は異常としか思えませんでした。汗をかいて働く事を避け、楽をして儲けるという言わば濡れ手に粟のような現象が当然のような時代だったのです。

1985年のプラザ合意以降に始まったバブル経済は、1990年に崩壊し始めました。この年の夏、日銀は公定歩合を6%に上げ、バブル景気は一気に崩れて行ったのです。
バブル経済の崩壊した翌年1991年1月、求人広告を出したところ4名の応募者がありました。多くの企業が倒産し失業者が溢れ出したのが原因なのか、私の会社にもようやく人が集まって来たのです。この時面接に来てくれた4名全員を採用し新たな機械設備を導入しました。
それから6年後の1997年10月、アルバイトを含めた社員全員(12名)を引き連れアメリカの工場を見学に行きました。アメリカの最新のプリントシステムを目の当たりにした私達は、それまで自分達のやって来た事が、如何にお粗末であったかを思い知らされたのです。

そして翌1998年1月、多額の設備資金を銀行から借り入れ、アメリカのプリントシステムをそっくりそのまま導入しました。その時に導入したTAS社製の1号機は、13年が経った今でも現役の印刷機械として活躍しています。

そしてまた4年前にも同社製の2号機を導入し、本年さらに3号機を導入しました。これによりTシャツの一日あたりの生産能力は、白生地であれば軽く1万枚はプリントする事ができるようになり、プリント工場としての技術と生産能力は、この24年間で着実に進歩してきたのです。

またTシャツについても2001年に自社ブランドを立ち上げ、プリント工場としては異例の在庫販売を展開し始めました。その後はTシャツだけではなく、トレーナー、パーカーといったメンズやレディースのカットソーについても幅広く販売するようになり、近年ではブルゾン等のアウターについても在庫販売をはじめました。その結果、セールスプロモーション用アパレルについては、ほぼ自社内で調達できるようになったのです。

また、国内におけるMTO(受注生産)や、無地商品やOEMと言った分野における中国との貿易も年々拡大しています。

アメリカ経済の弱体化や、それに引きずられるかのように欧州においても経済危機が囁かれる中、この先日本はどうなってしまうのだろうか。震災と原発事故の収拾の目途もつかず、円高等国家の行く末を揺るがすような大きな事案が次々と発生しています。

それでも私たちは生きて行かなければなりません。後世に多くの資産を残して行く事も大切な義務と考えなければなりません。そのためにも、今後は若い世代の人材を育成し、これまで培ってきた多くの事を伝授して行きたいと思います。

2012年は、創立25年と言う節目の年でありますが、これも一重に多くの皆様方のご協力の賜物と感謝致しております。今後は次なる世代に引き継ぐべく様々な努力を惜しまない覚悟で日々業務にあたって行きたいと考えております。

      2011年9月12日

株式会社松栄シルク
代表取締役松井達人

代表プロフィール

氏名 松井達人(マツイタツヒト) 
年齢 52歳(戌年)
生年月日 1958年10月30日
出身地 岐阜県郡上市八幡町
生い立ち 5歳年下の弟と7歳年下の妹との3人兄弟。職人気質の父親と、教育熱心な母親に育てられる。
学歴 地元の県立高校に入学したものの、わずか数か月で自主退学。よって最終学歴は中学卒である。
目標 日本一優秀なスタッフのいる、日本一のプリント工場を作り上げること。
来歴・年譜
1958年(昭和33年)10月30日 岐阜の山奥にある、小さな城下町に生まれる。
1962年(昭和37年)4月 慈教保育園入園(洞泉寺保育園)
1965年(昭和40年)4月 岐阜県郡上郡八幡町立八幡小学校入学
1968年(昭和43年)9月 岐阜県郡上郡八幡町立相生小学校転校
1971年(昭和46年)4月 岐阜県郡上郡八幡町立相生中学校入学
1974年(昭和49年)4月 岐阜県立郡上高等学校普通科入学
1974年(昭和49年)8月 岐阜県立郡上高等学校普通科中途退学
1974年(昭和49年)9月 ドライブイン郡上八幡入社(調理師見習い) 15歳10ヶ月
1975年(昭和50年)4月 ドライブイン郡上八幡退社 16歳6ヶ月
1975年(昭和50年)8月25日 株式会社光輪モータース入社(オートバイ及び部品用品の販売) 16歳10ヶ月
1976年(昭和51年)2月末日 株式会社光輪モータース退社 17歳4ヶ月
1976年(昭和51年)3月15日 株式会社進栄グランド印刷入社(スクリーン印刷工見習い) 17歳5ヶ月
1987年(昭和62年)8月末日 株式会社進栄グランド印刷退社 28歳10ヶ月
1987年(昭和62年)9月1日 松栄シルクと称して独立開業 28歳10ヶ月
1987年(昭和62年)10月8日 有限会社松栄シルク設立 代表取締役就任
付録
好きな食べ物 キャベツたっぷりの焼きそば 東京ラーメン 鶏ちゃん(郡上市の鶏肉の味噌漬け)
嫌いな食べ物 グリンピース こんにゃく 酢の物 胡麻のかかった料理すべて
趣味 釣り ドライブ テレビゲーム 模型作り ゴルフ(休養中)
好きなアニメ あしたのジョー(1970年から1971年にかけてテレビ放映されたもの)
好きなアニメソング あしたのジョー(尾藤イサオ)
力石徹のテーマ(ヒデ夕木)
Zのテーマ(水木一郎)
好きなアーティスト(好きな曲) ビートルズ(I Saw Her Standing There)
マイケルジャクソン(Billie Jean)
好きな女優 松雪泰子
好きな俳優
(思い出に残る映画)
高倉健(遥かなる山の呼び声・夜叉)
好きなハリウッドスター
(好きな映画)
ロバートデニーロ(タクシードライバー)
ダスティンホフマン(レインマン)
好きな作家(印象的な作品) 芥川龍之介(杜子春・蠅・羅生門)
好きなタレント(良かった頃) 甲斐まり恵(やじうまプラスのお天気お姉さん時代)
好きなアナウンサー
(好きな出演番組)
一柳亜矢子(小さな旅)
好きなスポーツ選手(コメント) 長嶋茂雄(巨人は嫌いでも長嶋は好き)
好きな言葉(コメント) GIVE & GIVE(意味=与え尽くす・・イギリスの格言)
好きな四文字熟語(コメント) 被褐懐玉(老子の言葉)
尊敬する人(理由) 羽生善治(6歳で将棋を始め、26歳で谷川浩二王将を破り7冠王となった。既成概念にとらわれない独特の戦法や、奇襲戦法を駆使し頂点に立った。おごり高ぶる事も無く常に冷静な受け答えをする姿は、まさに木鶏そのもののように感じた)
好きな歴史上人物(理由と魅力) 源義経(悲しい生い立ち。抜群の戦術能力により功績をあげるものの、兄に追われ31歳にしてこの世を去る。最後まで義経を慕い、付いて来た数名の家来達を生涯最高と称えた事が武士としての最高の栄誉と魅力を感ずる)