代表挨拶

創立30周年を迎えて

上京してからの42年間、私は常にころばぬ先の杖を突きながら歩いてきました。私にとってこの杖は生きて行く上でのお守りのようなものあり必要不可欠なものでした。何本あってもいい、あればあっただけ安心、それがこの杖だったのです。では杖とは具体的にはどんなものを指すのか、それは嫌らしい言い方かも知れませんがころばぬ先の杖とはお金です。それと同時に信用も杖の一種として必要です。お金を貯めながら信用を築き上げていくことこそが杖を持つことになり、自分にとっての支えとなるのです。この杖の必要性については誰から教わったわけでもなく、そうであると信じ今日までやってきました。

ただ、この二つさえあればそれで良いというものではありません。お金と信用があったとしてもそれを生かす能力がなかったら何にもならないのです。では生かす能力とはなにかということになりますが、それはズバリ行動力です。この杖を使い如何に行動するかによって人生は大きく変わってきます。しかしながら行動を起こすということは大きなリスクを伴うということ、ひとつ間違えば何もかも失くしてしまうこともあり、行動を起こすということは危険とは背中合わせなのです。だからといってそれを恐れてばかりいてはいけないと思います。持ち得る杖が心の支えになるのは確かですが、それを温存するのではなく、時には武器として使うことも大切だということです。必要に応じて持ち出し、そして使ってみる。勝負どころだと見れば一気に吐き出すくらいの度胸も必要です。

『被褐懐玉』、私の最も好きな言葉ですが、杖をこの玉に置きかえて考えれば分かりやすいと思います。常に懐の中に玉(杖)を抱き、いつでも出せる体勢をとりながら虎視眈々と時を待つ。結果を恐れず、失敗を恐れず、新しいことにチャレンジしてこそチャンスが生まれ、運が良ければ何かを掴み取る事ができるのです。運が良ければという言い方に違和感を覚える方もいらっしゃるでしょうが、それくらい謙虚な気持ちでいるということが大切なのだと思います。驕り高ぶりは敵です。過信は禁物。今の自分があるのは己の力だけでそうなったわけではないということ、数えきれない多くの人たちの協力があったればこその今であるということ、そう自分に言い聞かせることが益の継続に繋がるのだと思います。

昭和50年の夏、当時16歳だった私は3万円を片手に月賦の残ったオートバイに跨り、450キロの道のりを8時間以上かけて上京してきました。東京上野に着いた時の所持金は2万円を切り、何とかして稼がねば食べていけない、生きて行けない、そんな状態だったのです。この東京においては親戚もなければ身寄りもない、天涯孤独の私にとって頼れるものはお金だけ、学歴もなく、ないない尽くしの私は飛び込み同然でオートバイの販売会社に就職しました。そして必死で働きました。ただ働くだけではなく、どうしたら他人以上の売上げが上げられるかを考え、そのためには勉強もしました。合理的に販売するためには何が必要かを真剣に考え実行に移しました。その結果売り上げはトップとなり、その年の暮れには社長直々にお褒めの言葉をいただき、特別ボーナスまで頂きました。とても嬉しかったのを覚えています。ただ、この会社(今でいうブラック企業)に居ても将来性のないことを察した私は、勤続半年でこの会社を辞めました。その間に貯めたお金(30万円)を元手に山手線沿線に四畳半一間のアパートを借り、ねぐらを確保して一旦帰郷する事にしたのです。今考えるとこれが最初の杖の使用、つまり投資だったのです。

昭和62年3月、みぞれ混じりの雨の中、凍えそうな手をエンジンの熱で温めながら東名高速道路をひたすら西へ西へと走りました。決して都会の暮らしに負けたわけではないと自分に言い聞かせ、岐阜までの道のりをひたすら走り続けたのです。粉雪の舞う国道156号線を北へと走り抜け、実家に着いた時の両親の驚いた顔は42年が過ぎた今でもはっきりと覚えています。私を見るなり何しに帰ってきたと言わんばかり、オメオメと逃げ帰ってきたのかといったような顔をしていました。会社を辞めたという何とも味気ない報告、それを聞いてどう思ったのかは今となっては知る由もありませんが、この時故郷にいたのはわずかな期間でしかなかったように思います。再度上京した私は就職先を探しました。そして探しあてたのが葛飾区にあるスクリーン印刷工場、堀切への第一歩を標したのはその年の3月下旬、17歳でした。堀切の人たちは暖かく迎えてくれました。生き馬の目を抜くのが東京だ、東京は怖いところだ、気を付けろ、という言葉を耳に上京した私にとって、この町の人たちの優しさは胸に染みるものがありました。同時に良い町だとも思いました。かくしてこの町での生活が始まり、やがて家族を作り、年を追うごとに仕事も覚え、独立開業に至ったのです。

昭和62年9月1日、『松栄シルク』はなけなしの運転資金と、貧弱な設備の下スタートしました。翌月10月には有限会社松栄シルク(資本金300万円)として会社を設立、堀切に第一歩を標してから11年と6カ月にて念願の会社を持つことになったのです。この時持っていた杖はすべて掃出、それでも足りず借金をし、その保証人には妻と義父になってもらいました。失敗すれば一家もろとも奈落の底へ落とされてしまうのを覚悟の上でのスタートだったのです。28歳でした。

あれから30年、1人しかいなかった社員は36名になり、それぞれが家庭を持つまでに至りました。子供もでき、皆幸せそうに暮らしているようです。社員の幸せは自分の幸せ、その分私の双肩にかかる重みは日ごとに増してきています。これらの社員の暮らしを守るためにも、今以上に良くするためにも、まだまだ頑張らなければなりません。さらに、我が社に携わるすべての人たちの生活を守るためにも成長していく必要があるのです。そのためにはころばぬ先の杖を武器として用い、リスクも覚悟の上で新たな戦いに挑んで行かなければなりません。58歳になり、体力も衰え、若い時のようには動けませんが、やる気だけはあります。このやる気と杖でなんとか闘っていきたい、そんな心境でいます。

この度創立30年を迎えるにあたり『ReStart』という言葉を旗印にしました。もう一度原点に返り再出発したい、そんな気持ちから付けたタイトルです。この先も幾多の困難にぶち当たる事が予想されますが、皆さんのご協力とご支援を頂くことにより生き延びて行けるものと思っております。そんな会社であり代表者ではありますが、引き続きご支援賜りますようよろしくお願いします。

2017年9月1日

 株式会社松栄シルク
 代表取締役松井達人

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